Intermezzo

　薄らと開けた瞼の向こうに、微かな朱い光を見た。
　寝起きのぼんやりとした意識のまま、窓の向こうにある空の色を見て、セリスはもうじき夜が明けるのだと理解した。

　開け放たれたままの窓から風が部屋に入り込んで、そっと頬を撫でて行く。
　何て穏やかな景色なんだろう ── しんと静まり返った独特の空気に身を任せながら、そうセリスは思った。

　今は戦争の真っ只中にあるというのに、何故ここにある風景は何一つ変わらないのか。戦場での惨憺たる景色を見て、そして不本意ながら自らもその景色を作り出してきたセリスにとって、この静寂は不思議でたまらなかった。それと同時に、一刻も早く王都に辿り着かねば、という思いも脳裏を掠めた。
　イザークの地で決起してから半年以上が過ぎ、それでも尚戦いは止む事無く寧ろその勢いを増している。大陸全土で多くの人々が苦しみ、弾圧されている事は話に聞いてはいたが、現実は想像していたものよりずっと酷いものだった。理想と目の前にある光景の相違に気付かされる度、セリスは不安と苛立ちを覚えた。終わりの見えない戦いに絶望する事もあった。それでも解放軍のリーダーである自分が弱音を吐くわけにも行かず、ジレンマを抱えながらここまで来て、やっと最近になって気持ちの整理が付いてきたところだ。

　王都バーハラにも、今自分が見ているのと同じように、あの穏やかな空が広がっているのだろうか ── 窓の外を見つめながら、セリスはそこまで考えてはっとする。
　休息の時なのに、思う事は何時も戦いの事ばかりではないか。
　セリスは半ば自嘲気味に大きく溜め息を吐いた。自分の立場を考えれば仕方のない事とはいえ、「光の皇子」という姿からただの「セリス」に戻れるこの瞬間は、何よりも貴重な時間だった。
　せめて眠る時だけは、何にも邪魔はされたくない。そう思っていたのに、それでも先の事を考えてしまうのは国を背負う者の性なのだろうか。


「セリス様･･････？」

　不意に背後から声が聞こえて、セリスは慌ててそちらの方を向く。

「ああ、ごめんティニー。起こしちゃった？」

　寝ていたのは自分だけではなかったのを思い出して、セリスはティニーに詫びた。まだ意識が覚醒していないのか、ティニーの目は半ば虚ろだった。

「いえ･･････。それよりもセリス様、何かあったのですか？」

　寝起きの身体を労るように、セリスは腕の中へティニーを引き寄せて答える。

「ううん、無いよ。何も」

　だから心配しないで。そんな意味を込めて、セリスはティニーの後頭部を撫でながらその華奢な身体を掻き抱いた。しかし、ティニーの表情は余り晴れず、僅かながら唇を尖らせているのが分かった。

「･･････嘘です」
「嘘？　どうして？」
「だってセリス様、ずっと窓の外を見ていらっしゃるから･･････」
「･･････そうだったかな？」
「また考え事でもしていたのでしょう･･････？　それも、余り良い内容では無い事を」

　セリスには考え事をする時、何処か遠くを見つめる事が多かった。勿論公の場では決して出さないようにはしているが、彼と近しい人ならば知っている癖だ。しかし、考えている事が良い内容か悪い内容か、そこまで見抜ける人物はいなかった。それをティニーは理解していた。しかも今は、ほんの少しの時間しかセリスを見ていなかったにも関わらず。ティニーの言葉にセリスは面食らい、ただ苦笑するしかなかった。

「･･････君に誤魔化しは通用しないね」
「･･････最近分かるようになりました。せめて休みの時だけは何も考えたくない、そう言ったのはセリス様ですよ？」
「そうだったね･･････ごめん、でも考えてしまうんだ」

　返事の代わりに、ティニーの腕がセリスの背中に周る。ティニーが心配するのは自分を想っての事。セリスにはその気持ちが何より嬉しかった。そしてティニーが唯一自分の弱みを見せても大丈夫だという存在である事も。

　今となっては当たり前のように一緒にいる二人だが、初めて会った時の事を思い出すと、こうなったのは奇跡に近い事なのかもしれない。
　最初は敵方に属していたティニーとは、必要な情報を聞く程度の会話しか出来なかった。それは少しでも彼女のトラウマを刺激しないように、とセリスが遠慮していたからだったが、暫くするとお互いに慣れてきたのか、自然と事務的な内容以外の話もするようになった。そうして少しずつ距離を縮めて行って、二人は恋人同士となった。


「･･････このまま夜が明けなければ良いのに」

　セリスの腕の中で、ティニーがふとそう呟いた。
　そうなれば、セリス様が苦しむ事なんて無くなるのに。そんな言葉と共に、父親譲りの鮮かな紅い色の瞳が覗き込んでくる。

「こんな事を言ったら、セリス様は私を軽蔑されますか？」

　勿論、ティニーが本気でそんな発言などしていない事は分かっているから、セリスは首を横に振った。

「そうだね･･････。このままだったら、ずっとティニーを帰さずにいられる」

　セリスの言葉にティニーは一瞬呆気にとられてぽかんとした表情を浮かべたが、すぐにその意味を理解して、恥ずかしそうに顔をセリスの胸に埋めた。

「･･････からかわないで下さい」
「からかってなんか無いよ。僕は本気だ」

　ティニーがセリスと夜を共に過ごすのは、何も今回が初めての事では無い。それでもティニーの反応が初々しくて、セリスの口元は自然と綻んだ。愛する人と同じ時間を共有する、たったそれだけの事なのに、今のセリスにはそれが何よりの幸せだった。きっとティニーも同じ事を考え、同じ思いを感じている。だからこそ、こうして傍にいてくれるのだろう。そう思うと、セリスの心に温かい光のような感情が灯っていった。

「ねぇ、ティニー」

　セリスはティニーの耳元でそっと囁く。悪戯を思い付いた子供のようにふっと笑うセリスに気付いて、ティニーは顔を上げ、怪訝そうに見つめた。

「･･････セリス様？」
「･･････良い？」

　僅かな沈黙の後、期待に満ちた声でセリスが呟いた。声が聞こえてくるのと同時に、セリスの手がティニーの背中から腰へと辿って行く。セリスが何を自分に望んでいるのか、ティニーはすぐに察して、困惑したような表情を浮かべた。

「もう･･････。今日はこれから軍議もあるのでしょう？」
「うん、そうだよ。駄目･･････かな？」
「駄目だなんて･･････」

　セリスが屈託のない笑顔で見つめるものだから、ティニーには断る事など出来る筈は無かったし、勿論抗う気など全く無かった。
　ティニーは今一度セリスに抱きついた腕の力を強めて、答える。

「レヴィン様に怒られても知りませんよ」

　返事の代わりに、ティニーの唇にはセリスの口付けが落とされた。

「･･････ありがとう、愛してる」

　セリスの声を聞きながら、ティニーの意識は甘い疼きの中へと導かれていった。




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何か良い感じに大人ムードなセリティニが書きたかったんです
(2010/05/25)