黄金の中庸
──
エリンシア様のお姿が見当たらないのです。
軍議を終えてから暫くして、彼女の臣下からアイクはそんな話を聞かされた。心当たりは探したのかアイクが訊ねると、この辺りは粗方探したのだと返された。
ピネル砦の戦い、即ちエリンシアの初陣は、無事に勝利という形で収める事が出来た。しかしその余韻に浸る間も無く、明日はすぐに次の戦いへと向かわなければならない。
てっきりお話が終わった後は、天幕に戻られていると思ったのですが。臣下は青ざめた顔で眉を顰めた。既に日は沈み、辺りは一面闇に包まれている。その中で、軍の旗印にもしもの事があったら。臣下が焦るのも無理は無かった。
そして今、アイクは一人黙々と闇の中を突き進んでいる。エリンシアが何処にいるか、そんな事は分かる筈も無いが、アイクの中には引っ掛かるものがあった。
エリンシアの天馬は本営の中で繋がれていた。となると、彼女はそこまで遠くには行っていない事になる。そしてもう一つ、気になる事と言えば、砦へと引き上げる時に一瞬だけだが、エリンシアは戦場となった場所を振り返り、物憂い気に目を伏せていた。先の戦いで、何か感じたものがあったのだろうか。アイクは自らの勘を頼りに、エリンシアの姿を探し続けた。
人の気配と、何かが地を踏むような音が聞こえて、アイクはその方向へと歩みを進めた。夜の静寂な空気は僅かな物音をもいとも簡単に響かせる。気付いたのだろうか、目の前にぼんやりと現れた人影は、少しだけこちらの方を向いて、すぐに視線を元に戻した。僅かな月明かりから見える白い装身具と束ねた緑色の髪が、アイクに確信を持たせた。
「エリンシア姫、皆探していたぞ」
アイクの声に、エリンシアは返事をしない。俯いたまま身動き一つせず、その場に立ち尽くしているようだった。
犠牲となった者達の骸は既に無くなっていたが、荒らされた土の跡がこの戦いの激しさを物語っていた。
「
──
私は、この場で初めて人を殺めました」
エリンシア姫、アイクがもう一度声を掛けようとするも、言葉を先に発したのは彼女の方だった。
地を見つめるその両手には、クリミアの宝剣と手折られた花の束が握られていた。
「･･････祈っていたのか？ その者の為に」
察したのか、アイクが言葉を変えて訊ねるとエリンシアは小さく頷いた。
「直接亡くなる瞬間を見たわけでは無いのですが･･････」
エリンシアは静かに、事の始終を話した。
斬り付けた相手は、その場に倒れ込んだまま動こうとはしなかったが、微かに息は残されていた。しかし、すぐに次の敵が迫って来ていた事もあって、エリンシアは先の相手の末路を見ないまま、その場を離れなければならなかった。敵味方を含めた犠牲者の中にその者がいたと言う事は、戦いが終わった後に知らされたのだという。
「戦いに加わった事を、後悔しているのか？」
アイクの問いにエリンシアは首を横に振って、静かな声で「いいえ」と答えた。
「デインは私の敵であり、仇です」
その言葉に迷いは無かった。それでも、思う事があるのか、エリンシアは一瞬だけ目を伏せた。
「･･････ですが、彼らも一人の人間です。だから、せめて天上に還る瞬間は、同じ『人』として送り出したいのです」
エリンシアは身を屈めると、持っていた花をそっと散ばせて、死者を弔う為の聖句を一節、乾いた土の上に指で書き記した。宝剣を鞘から抜き軽く地面に突き刺すと、膝を折って手を組み祈りの文言を唱える。生けるものから死にゆくものへ与えられる最後の祝福。本来なら聖職者で無ければ出来ない行為だが、アイクにとって今のエリンシアの行動は寧ろ神々しいものに思えた。
祈りの時間は長いこと続いた。しかしそれを止める気にはならない。エリンシア自身も、これから先このような事が常に出来るとは限らない事を知っている筈だった。それならば、今だけは彼女の望むようにしてやるのが一番だとアイクは理解していた。
「･･････この剣が本来の役目を果たしたのは、これが最初だそうです」
祈りを終えて、エリンシアはアミーテを地面から引き抜くと呟いた。
本来の役目、つまり生命を奪う手段としてこの剣が使われたという事。王たるものの象徴として、儀式の中で使用される事はあったが、実際に武器として用いたのは自分が初めてだった。そうエリンシアは語った。
「私にとって、この剣はまだ重い･･････でも、人の命はそれ以上のものです」
柄を握り締め、自分に言い聞かせるようにエリンシアは話す。
「クリミアを再興させる為に、私はこの剣でこれからも犠牲を出すのでしょう。ならば国を治める者として、散る者達の命を背負って生きて行く事を忘れてはならない。それを確かめたくて、ここに来ました」
エリンシアは剣を鞘に収めると、ゆっくりと立ち上がってアイクの方を見遣った。
「･･････すみません、綺麗事を言ってしまって」
「いや、そんな事は無い。あんたらしい考え方だと、俺は思うが」
彼女の中にある大いなる魂と高貴なる心。アイクは口にこそ出さなかったが、エリンシアの秘めた力を感じ取っていた。
「正直言うと、少し不安だったんだ」
「不安、ですか･･････？」
「戦場は、言ってしまえば負の感情だらけの場所だ。俺達は慣れてしまったから平気だが、姫をそんな中に放り込ませたくは無かった」
エリンシアが共に戦う事を申し出た時、雇い主である以上アイクは敢えて言及せずその願いを聞き入れた。しかし、その脳裏には一抹の不安が過ぎった。
エリンシアは余りにも純粋で慈愛に満ち溢れている。戦場と言う無機質で残酷な場所に立つ事で、彼女の持っているものが穢されてしまうのではないか、そんな思いがアイクの中にはあった。
「だが、あんたは変わらなかった」
否、変わらないと言うよりは、強くなった、と言った方が正しいのかもしれない。そして、強くならざるを得なかった、とも。
クリミア王家最後の血族として生き延びる事、そしてその存在を世に知らしめる事、それがエリンシアの宿命だった。しかし彼女はそれから逃げる事無く、真正面から起こり得る事全てを受け止めた。時に自らの弱さを知り、時に困難を乗り越える事で彼女は成長し、
遂には戦いに身を投じるまでになった。
──
人は与えられた器に応じて大きくなる。
アイクの記憶の中にある言葉を、エリンシアは体現していた。
「これから先、俺達の進む道はもっと険しくなるだろう。だが
──
」
彼女の清気は、気高さは、失われる事は無い。例え、どんなに混沌とした場所へ足を踏み入れようとも、その手で多くの生命を奪う事になっても。
先のエリンシアの行動が、アイクに確信を持たせていた。
「あんたの中にあるものが変わらなければ、大丈夫だ。俺はそう信じている」
アイクの言葉にエリンシアも漸く安心したのか、ふっと口元を綻ばせていつもの柔らかい表情に戻った。
「･･････有難うございます、アイク様」
エリンシアの表情を見て、アイクも少しだけ顔の緊張を緩めて頷いた。
「さあ、皆が心配している。帰ろう」
差し出した手に、エリンシアの手がそっと乗せられた。
統べる者としての威厳と柔和さを合わせ持った姿。それを何と形容したらエリンシアに伝わるのか、アイクは考えたが相応しい言葉を見付ける事は出来なかった。否、する必要も無かった。
ただ一つ思った事は、彼女が自分の雇い主であって良かった、と言う事だった。
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エリンシアの強さを何とかして表現したかったんです
主従関係のアイクと絡ませるのも、たまには良いなあと思いながら書いてました
(2010/06/04)