清けし夜に
行き交う人々の活気付いた声と、街のあちらこちらに照らされた蝋燭の灯。その間をすり抜けるように、街道の端を歩いて行く。一年に一度の、多少見慣れた光景ではあるが、やはり特別な日だと意識するからか、視線は自然と目に映る全てのものへと注がれる。
「ちょっと、ロンクーさん」
道の中程まで進んだ所でリズが振り返り、不満気に呟いた。
「･･････何だ」
リズから僅かに離れた後方の位置で、今度は同じようにロンクーが不満気に眉を顰める。
「そんなに離れて歩かなくたって良いじゃない。この人だかりじゃ、迷子になっちゃうよ」
「その心配なら必要ない。寧ろ、お前の隣で歩く理由も無いと思うが」
「もう･･････そうじゃなくて、ロンクーさんが近くにいてくれないと、私が迷子になっちゃうって話だよ」
「知らん」
小さな体を何度も弾ませてリズが主張するのを、対するロンクーは冷ややかとも無愛想とも見える表情で、淡々と返す。
「酷いなあ。イーリスの王女が祭典の真っ最中に行方不明になりました、って事になったらどうするの」
「そうならなければ良いだけの話だ。それに、一緒に来てくれと頼んだのはお前の方だろう。だったら、頼んだ側が頼まれた側の意向に沿うような行動を取るべきだと思うが？」
「うう･･････それはそうだけど」
痛い所を突かれて、リズは急にしおらしくなってしまう。新しい年を迎えるまで数日掛けて行われる、祖国イーリスで最も大きな祭典の一つに挙げられるであろう聖夜祭。王女としての身分を隠し、こっそりと城下の街に繰り出す際、その護衛として傍にいてほしいとロンクーに頼んだのは、確かにリズ自身だった。
兄クロムが、代行という形ではあるが、国王として迎える初めての冬だった。慣れない政務と祭典の準備に追われ、毎日を慌ただしく過ごしている兄の姿を見て、自分も王女としての立場から何か助力は出来ないかと申し出たのだが、「余計な真似はしないでくれ」と逆に断られてしまった。大切な妹君に気を遣わせないように配慮しているのだ、と臣下にはなだめられたものの、折角の厚意を無にされたという気持ちの方が強くて、どうにも納得が行かなかった。
親しい間柄の友人も、この時期は各々自分達の場所で祭典を迎える習わしになっている為に、王城に赴くことは先ずない。城の中で自分が出来る事といえば、周囲の邪魔にならないようにじっとしている事だけ。話す相手もなく、かといって何もする事もなく、ここ数日でリズの鬱積は限界寸前まで溜まっていた。
フェリア王国からの客人として、ロンクーが現国王と共にイーリスを訪れていたのは、丁度その頃だった。話を聞きつけ、城内の方々を探し回り、そうして鍛錬所で一人剣の素振りをしている彼を見付けた。
当然と言えば当然なのだが、リズの申し出に対してロンクーは良い顔をしなかった。国の王女が、御忍びで城下に繰り出す。それも、よりによって祭典の佳境に当たる今日この時に。もし姿が見えない事を、城の者達が知ったらどうなるのか。その後の光景を想像することは、容易に出来た。
「お願い！ ちょっとの間で良いの。一緒について来てくれない？」
「断る。大体、何で俺がお前の無茶な要求に付き合わなきゃならないんだ？」
「だって、今ならロンクーさん暇そうだし、私も何もやる事なくて、暇で暇で死にそうなんだもん」
「別に俺は暇そうにしてるわけじゃないんだが･･････」
どれだけ渋い表情を見せられても、リズはめげる事なく口を開く。
「ね、お願いだから、一緒に来てよ！」
「だから、さっきから断る、と言っているだろう」
「そんなあ･･････。ロンクーさんは私が周りの人から、暇を持て余した無能なイーリスの王女だって言われても良いの？」
「おい、待て。何で急にそんな話に･･････」
「私だって、好きで何もしてないわけじゃないんだよ？ 折角のお祭りだから、皆と一緒に何かしたいって思ってたし、楽しみたいと思ってたけど、それが出来ないんだよ？ 私は一人寂しく、自分の無力さを呪いながらただ時が過ぎるのを待ってろって事なの？」
「･･････分かった。分かったから、もうそれ以上喋るな」
「酷いよ、そんな事言うなんて･･････え？」
早口で大げさに捲し立てられて、流石のロンクーも根負けしたらしく、まだ喋り足りないと言わんばかりのリズを諌める。対するリズは、急に話を遮られて、きょとんとした表情を見せている。
「･･････行けば良いんだろう？」
「え？ ･･････ええと、･･････うん、そうしてくれると嬉しいな！ ありがとう、ロンクーさん！」
「お、おい。どさくさに紛れて俺に触ろうとするな･･････！」
リズがあまりの嬉しさに抱き着こうとするので、ロンクーは何とか彼女との距離を保とうと、慌てて自らの身を後ろへと退かせる。退屈な時間からやっと解放されるという歓喜の表情のリズとは対照的に、ロンクーの顔には厄介事に巻き込まれることへの不安がはっきりと浮かんでいた。
御忍び用の服装が十分に役割を果たしているのか、それとも周りがそれ程関心を持たないからか、国の王女が市井の臣に紛れている事など、誰も知る由は無かった。もし見たとしても、目深にフードを被った小柄な少女が厚手の外套に身を包み、華やかな夜の街を好きなように散策しているくらいにしか映らないだろう。
街の賑わいを背に、リズは辺りをきょろきょろと見回しながら、ゆっくりと歩いて行く。後ろからは、ロンクーが付かず離れずの距離で付いて来ている。先ほどの口論、といっても些細なものだが、そのせいで、何となく気まずい空気が漂っているのを、嫌でもリズは感じずにはいられなかった。
誰にも話せないが、リズは密かにこの寡黙で女嫌いの剣士に想いを寄せていた。先の戦乱で、自分の護衛の任を受けたのが彼で、その命を文字通り体を張って護ってくれた。無論、王女という立場から、これまで護衛をされるという経験は何度もあったものの、実際に命を狙われた経験はそう無かったが故に、その恐怖から自分を救ってくれた彼の姿を見て、恋に落ちたのは当然の成り行きだったのかもしれない。
助けてもらった勇者に恋をするという、幼い頃耳にした御伽噺にありそうな展開。唯一違っていたのは、その勇者が極度の女嫌いである、という事だった。当然リズも例に漏れず、最初は露骨なまでに拒絶されていた。だがそれでも、図々しく、と言ってしまえば言葉は悪いが、何度もこちらから声を掛け、僅かな時間の合間にも彼と会話をする事で、少し近付いたくらいでは動じないまでに、心の距離は縮まって行った。
そして今日。偶然イーリスを訪れていたのが彼で、その話を聞いた時、これはもう行動を起こすしかないと思っていた。国を挙げての大切な日を、誰と共に過ごしたいか。問われれば、その答えは考えずともすぐに出てきた。今の彼なら、何とかして頼み込めば聞き入れて貰える事は分かっていたし、次の年もまた同じように一緒にいられるかどうかという確証は無かった。だから多少強引でも、どうにかして彼を城の外へ連れ出したいと、リズは思っていた。
イーリスの者とは違う背格好と顔立ちのロンクーは商人の目に留まりやすいのか、しきりに声を掛けられ、品物を半ば押し付けられるような形で熱心に勧められていた。声を掛けられる度に、またかと言わんばかりに眉間に皺を寄せるロンクーの表情が何となく可笑しくて、こっそり笑ってしまったのはここだけの話だ。
「･･････聖夜祭とは、随分商魂逞しいものなんだな」
何度目かの押し売りを振り払って、ロンクーがおもむろに呟いた。
「えっ？ あ、ああ、そうかな？」
不意に話し出されたものだから、リズは驚いて思わず変な声を上げそうになってしまう。
「いや、フェリアの場合、祭事があったとしてもここまで店が並ぶ事は無いからな」
「そうなんだ。イーリスだとお祭りの時はいつもこんな感じなんだけど」
「そこは風習の違いだろう。まあ、新年くらいはこっちも派手にやってはいるが」
「そっか。そういえば、お兄ちゃんも言ってたな。フェリアの新年祭はイーリスより盛大だって」
「何だ、気になるのか？」
「他国の文化を学ぶのは、王女としての務めだからね。あ、もし本当に私がフェリアのお祭りに行く事になったら、その時はロンクーさんが案内してくれる？」
「何故そういう話になるんだ。まあ、考えてやっても良いが･･････」
ロンクーの表情には呆れの色が浮かんでいるが、心底嫌悪しているというわけではないらしい。商人に散々話し掛けられて苛立ちが別の方向へ行ったか、聖夜祭の雰囲気に慣れてきたからか、どちらにしても、いつも通りの会話が出来た事にそっとリズは胸を撫で下ろした。
祭の熱気は止む事を知らず、夜が更けても尚、街を歩く人の数は減る事無く、露店の売り込みの声も高らかに響き渡る。ロンクーはと言えば、相変わらず商人に呼び止められ、買いたくもない商品をああだこうだと事細かに説明され、無視してもしつこく付き纏われる事に辟易しているようだった。冷めた態度の客に対して、怯む事無く売り込みを続ける商人の姿に、成程、確かに商魂逞しいとは言ったものだと、遣り取りを見ているリズも苦笑いを禁じ得なかった。
「そこの人、ちょっと見て行かないかね？」
ああ、また来たか。思って、リズはロンクーの顔を見遣ろうと横に視線を送る。しかし自分の予想とは違い、傍にロンクーの姿は無く、少し離れた場所で買う買わないの応酬を繰り広げている所だった。周囲を見回しても、自分以外の姿は近くには無く、そこで初めてリズは自分が商人に話し掛けられたのだと気付く。
「え、ええと･･････。もしかして私、ですか？」
「そうだよ。珍しいものがあるんだ。何、買わなくたって構わない。見るだけで良いから」
言われて、リズは困惑してしまう。下手に人と接する事で正体が暴かれるのは何としても避けたかったが、かといって「珍しいもの」と豪語されれば、見ないで過ごす事は自分の性分からすれば出来る訳もなく。一瞬悩んで、あまり顔を合わせずにいれば大丈夫だろうと、「じゃあ少しだけ」と、商人の言葉に従う事にした。
「！！」
しかし、目の前に並べられた品物を見てリズは絶句した。確かに、売られているのは「珍しいもの」に違いなかった。但し、それは市井の人間にとっては、という意味でだが。
「あ、あの、おじさん。まさか、珍しいものって･･････」
「おや？ これの正体が分かるのかい？ お嬢ちゃん、見掛けに依らず物知りだねえ」
「じゃあやっぱり、この髪飾りも、この宝冠も皆王室の･･････？」
「ああ、そうだよ。今日だけ特別に持って来たんだ」
滅多に見られるものじゃないから、と説明されても、商人の声はリズの耳には全く届いてはいなかった。
売られているのは、間違いなくイーリスの王室に献上されている装飾品だった。中には、過去に自分の誕生日に贈られたものと酷似しているものさえある。品物が品物だけに、普通の人ならまずお目に掛かれない代物。その存在を年若くして既に知っている事を商人に知られてしまい、リズの心には焦燥が浮かんでいた。
「この髪飾りなんかどうかね。きっとお嬢ちゃんにぴったりだと思うんだが、付けてみないかい？」
「えっ･･････！？ いや、良いです！ 私、普段髪飾りなんて付けないし！」
「そんなに遠慮しなくても良いじゃないか。実際に付けてみたら、印象も変わると思うよ」
「いやいや、本当に良いんです･･････っ！」
思ってもいなかった展開にリズは慌てふためいてしまうが、それでも商人との押し問答を止めさせる切欠になどならなかった。これでもし、そのフードを取って付けてみたらどうだと言われてしまえば、今度こそ自分の正体が分かってしまうと、不安と切迫感で胸がいっぱいになる。
「リズ、どうしたんだ」
「あ、ロンクーさん･･････」
漸く押し売りの応酬から逃れてきたのか、ロンクーが声を掛けてくる。それが、リズの不安を的中させる要因となってしまうとは、声を掛けた方も掛けられた方もすぐには気付かない。
「リズだって？」
「･･････！」
「！ しまった･･････」
商人の言葉で状況を理解するも、時既に遅く。
「お嬢ちゃん、イーリスの王女様と同じ名前なのかい？ 偶然だなあ」
「え、ええと･･････、私、私･･････」
「そう言われてみれば、顔もどことなく王女様に似ているような･･････」
フードに覆われたリズの顔を、商人が繁々と眺めてくる。自分の名前を知られてしまった以上、もう逃げ場は無いのかとリズは観念して目をぎゅっと瞑り、身を小さく縮こまらせていた。その刹那。
「･･････行くぞ」
「･･････え？」
「あ、ちょっと･･････！」
強く手首を掴まれ、半ば引き摺られるような形でリズはロンクーに連れ出されて行く。商人の制止の声が聞こえたような気もしたが、それよりも逃げる事の方が大事だった。足早に人々の隙間を通り過ぎて行く中、次々に移り変わって行く街の光景が何故か妙にゆっくり見えたのが、混乱した意識の中でリズの目に焼き付けていた。
気が付けば街の景色は既に遠く、辺りには道標となる松明の僅かな明かりだけがぼんやりと浮かんでいる。
「･･････大丈夫か？」
ここまで来たのならもう心配ないだろうと思ったのか、掴んでいた手を離し、ロンクーがリズに問い掛ける。
「う、うん。私は平気･･････。ロンクーさんも、大丈夫？」
「ああ、心配なら無用だ･･････」
両者とも無我夢中で走って来た為に、息はすっかり上がり、膝に手を置いて何度も浅い呼吸を繰り返す。随分と無茶をしてしまったが、それでも最悪の事態だけは避けたいが故の事だった。
「その･･････すまなかったな」
「え？ 何の事･･････？」
「痛かったんじゃないのか？ 急に腕を引っ張ったりして、
一国の王女に対する振る舞いとしてはあまりに無礼だっただろう」
「ううん、そんな事ない･･････！ そうして貰わなきゃ今頃大変な目に遭ってたんだし、ロンクーさんが気にする事なんて無いよ！ それに、元はと言えば私が悪いんだし･･････」
自分の我が侭でロンクーを巻き添えにしてしまったと、リズが項垂れる。もし話が広まってしまえば、彼に対して何らかの咎が与えられる可能性も有るというのに、何故そこまで考える事が出来なかったのか。今になって、リズは自分の認識の甘さを酷く痛感していた。
「いや･･････悪いのは俺の方だ」
「えっ･･････？」
しかし、ロンクーはリズを諌めようとはしなかった。思わず顔を上げて、困惑した表情でロンクーを見つめる。
「俺がお前を止めなかったから、こうなったんだろう。非は俺にある」
「どうしてそんな事言うの？ 私が無理にお願いしたからこうなったんだよ。ロンクーさんが自分を責める必要なんて何も無いんだよ」
「本当に駄目だと思ったら、最初から引き受けなければ良かっただけの話だ。だが、俺はお前に従った。それはお前に頼まれたからじゃない。決めたのは俺自身なんだ」
「で、でも私は･･････」
「それに･･････城から抜け出すのも、思った程悪いものでは無かったしな。少なくとも、お前の立場を忘れて、あの時に名前を呼んでしまったくらいには、俺も謳歌させて貰ったと思うが」
「ロンクーさん･･････」
リズの胸が大きく音を立てて揺れ動いた。同時に、急に息苦しさが込み上げてきてしまって、そっと胸の上に手を置いて、浮かんで来る感情を鎮めようとする。胸の痛みは自分の未熟さから来るものではない。ロンクーは、自分に対してあまりにも優しすぎるのだ。否、そんな事、最初からもう分かっていて、だからこそ一緒にいて貰おうと思ったのだろうに。
「さあ、帰るぞ」
「･･････うん」
ロンクーはいつもの冷静な口調で、リズに城へ戻るように促す。きっと彼には、自分が抱いている複雑な感情は伝わっていないのだろう。寧ろ、伝わらない方が良いのだ。まだ、想いを口にするには、機は熟していないのだから。そう思った。
「･･････？」
ふと、目の前に大きな手が差し出されて、リズは小首を傾げた。視線を上げると、相変わらず表情一つ崩さないロンクーの顔が見える。いや、崩していないと思っていただけかもしれない。視線が交差した僅かな瞬間に、少しだけ無愛想な表情が揺らいだのを、リズは見逃さなかった。
「･･････どうした」
「あ･･････。ええと、ロンクーさん、これって」
「･･････良いから、取れ」
「え？」
状況を今一つ掴めていないリズの前で、強く念を押すように、またロンクーの手が差し出される。
「迷子になりたくないのだろう？」
一度鎮まりかけていた感情が、再び大きく揺らいだのを感じて、リズは少しだけ眉を顰めた。
狡いなあ。これじゃあ我慢出来なくて、思わず叫んじゃいそうだよ。心の内でそっと呟く。
だが、それでも、と自分に言い聞かせ、気持ちを面に出さないようにしながら、そっとロンクーの手の上に自分の手の平を重ねる。軽く握られたのと同時に、自分も同じくらいの力で握り返す。拒絶も抵抗もなかった。女嫌いの筈の彼が、自分と手を繋ぎ合う。それは今までリズがロンクーと関わってきた中では、初めての事だった。今のこの状況に対して、そして自分に対して、果たして彼はどんな思いを抱いているのだろうか。
繋いだ手はそのままに、ゆっくりと王城へと続く道を歩き続ける。色々な感情が綯い交ぜになって、苦しくて、辛くて、でも嬉しかった。今の気持ちを表すとしても、きっと言葉なんて幾つあっても足りないのだろう。それを理解しているから、リズは敢えて何も言わずに黙って歩いていた。今はただ、この時間を、瞬間を、はっきりと自分の記憶に刻んでおきたかった。
自分が感じている想いと同じ想いを、この時にロンクーが抱き始めていた事など、リズは知る由もない。
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ベタな展開から始まるこの二人が大好きです
(2012/12/18)