雨の降る日
「･･････つまんないなあ」
ぼそりと呟く声が隣で聞こえたが、聞こえない振りをした。そんな事よりも、今は目の前に広がる文字の羅列に集中しているからだ。
「ねえ、そう思わない？」
また声が聞こえたが、やはり聞こえない振りをした。一瞬、声のする方を横目でちらりと見遣ると、座りながら長机の上に両手で頬杖をついて俯く姿が映った。そうして、すぐに視線を元に戻す。
「･･････もう、タクミさんってば！ 何か言ってくれたって良いじゃない！」
業を煮やしたのか、ぱっと顔を上げてエリーゼが叫ぶ。いきなり大声で叫ばれて、タクミは思わず持っていたものを落としそうになってしまった。
「な、何だよ、急に！ びっくりするじゃないか！」
エリーゼの声につられて、タクミもつい大声で言い返してしまう。
「だって、タクミさんったら全然返事してくれないんだもん」
「仕方ないだろ？ こっちは仕事中なんだから」
「･･････読書も仕事のうちなの？」
頬杖をついた姿勢はそのままに、エリーゼは視線をタクミから外し、傍に置かれている物の方へと移す。二人が並んで座っている前には、長机が、もっと正確に言うなら、カウンターと呼ばれる大きな台があり、その左端には読みかけの本が数冊詰まれていた。どの本も、タクミが自分で持って来たもので、その内の一冊は彼の手元で開かれている。
「別に良いじゃないか。空き時間を有効に使えるし、僕自身の勉強にもなるし、一石二鳥なんだよ」
「あたしには、ちゃんとお店番してないようにしか見えないけど･･････」
「必要な時が来たら、その都度対応するから問題ないよ」
「えー、それはどうかと思うんだけどなあ」
「チェスを持って来た君に言われたくないね。それよりも、少し静かにしててくれないかな。丁度今、面白い所に差し掛かってるんだから」
「うう、タクミさんの意地悪･･････」
痛い所を突かれて、エリーゼは急に押し黙ってしまった。読みかけの本の隣には、白と黒の升目が交互に配置された盤と、様々な形を模した駒の入った箱が一緒になって置かれている。それは、二人が今いる場所、即ち道具屋のカウンターに置くには、少々不釣り合いの物だった。
話は少し前の時間に遡る。店番の交代の時間になり、タクミが杖や薬の在庫の確認をしていると、そこへエリーゼが小走りで店の中に入ってきた。曰く、店の前をたまたま通りかかった際、自分の姿が見えたから気になって覗いてみた、と。てっきり一言会話を交わしたらすぐに帰ると思っていたのだが、彼女はなかなかここから離れようとしなかった。仕事の邪魔をされたくないという事、相手をしている暇は無いという事は何度も伝えたが、彼女は折角だから自分も手伝うと言い張って聞かず、戻る戻らないの問答を繰り返したのち、結局こちらが折れる形になった。手伝うと言いながら、どさくさに紛れてチェスの道具一式を忍ばせていたのには、ある種感心してしまったが。
静かな店の空間に、雨粒の落ちる音が外から入ってくる。幾ら星界が竜の力によって保たれているとはいっても、天候まで操る事は流石に不可能らしい。
「そんなに退屈なら、戻って他の人と遊べば良いじゃないか」
本を読んでいる姿勢はそのままに、タクミが言う。しかし、エリーゼは首を横に振って聞かなかった。
「･･････嫌。それにこの雨じゃ、外になんて出られないよ」
「傘ならそこに一つ予備が置いてあるんだし、借りて行けば？」
「･･････そしたらタクミさんが帰る時濡れちゃうよ」
「別に濡れたって気にしないよ。それに、まだ暫くはここにいるから、もしかしたらそのうち止むかもしれないし」
「･･････それでも、あたしはタクミさんを置いて行くのは嫌なの」
「何だよ、それ･･････」
カウンターの上で両腕を組み、その上に顎をちょこんと置いた体勢で、エリーゼは「だって嫌なものは嫌なんだもん」と呟いた。エリーゼの不貞腐れた様子に、タクミもやれやれと言った風に溜め息を吐く。退屈だと言いながら、仲間のいる建物には戻らず、戻るのは嫌だと言いながら、退屈だと不満を零す。そのどっちつかずの感覚が、タクミには理解し難かった。
雨の音が、次第に地面を激しく叩きつけるような音へと変わっていく。こうなってしまうと、外に出るのは益々難しくなり、エリーゼの退屈さにも拍車が掛かる。
「･･････ねえ、タクミさん」
カウンターに伏せたような格好のまま、エリーゼが横目でタクミを見つめてくる。
「もう･･････今度は何？」
「･･････お店番、もう終わりにしない？ こんな雨じゃ誰も来ないよ」
「あのさあ･･････」
心底呆れた眼差しで、タクミはエリーゼを見た。やはり、彼女の感覚には理解し難いものがある。これでもエリーゼ本人からしてみれば、遊びに興じる事を行動に移さないだけ、まだ我慢している方なのだが。
「･･････はあ、仕方ないなあ」
読んでいた本をカウンターの上にそっと置いて、やおらタクミは立ち上がる。タクミの変化に気付いたのか、エリーゼも顔を上げて、不満そうにしていた表情を少しだけ緩めた。
「え、やっぱり終わりにするの？ あたしと遊んでくれる？」
「いや、そうじゃなくて、君がここに残った目的を果たして貰おうと思ったんだよ」
「目的？」
「手伝ってくれるんだろ？ 僕の事」
「あ･･････うん、手伝う！ 手伝うよ！」
エリーゼの嬉しそうな声に、タクミも少しだけ安堵する。タクミが提案したのには、丁度読み終わって区切りが良かったという事もあるが、エリーゼをこのままずっと放っておくのは、流石に可哀想かもしれないという本音もあった。
「ちょっと杖の整理をしたくてね」
傍に置いてあった木箱の中から、様々な形状をした杖をカウンターに出しつつ、タクミは言う。
「整理？」
「ああ。台帳には杖の名前は書いてあるけど、どんな形かは書いてないから、判別に自信が無くて、後回しにしてたんだ」
「そっか。白夜の人は祓串を使う事が多くて、杖はあまり馴染みが無いもんね」
「今から一つずつ見せるから、君が名前を教えてくれないか？ そしたら僕が台帳に特徴を書いていくから」
「うん、任せて！」
「じゃあ、まず最初はこれから教えて」
タクミは手近にあった杖を一本取り、エリーゼに手渡す。エリーゼは一通り形を確認すると、思い当たる名前が浮かんだのかすぐに口を開いた。
「えーと、これはリザーブね」
「成程、随分飾りが大きいんだな。･･････ありがとう、じゃあ次はこれ」
「これはウィークネス･･････って、タクミさん、あたし前にこれ持ってた事あるよ。覚えてないの？」
「え、そうだっけ？ 何となく、見た事あるような無いような･･････」
「もう、そんなんじゃお店番務まんないよ。しっかりしてよね」
「･･････分かってるよ」
他愛のない会話を交わしながら、互いに作業を進めていく。エリーゼが熱心に杖の効果を説明する傍ら、タクミは時折手を止めて、彼女の言葉に聞き入る。正確に記しておきたいという事と、杖そのものへの純粋な興味と、その二つの思いがあったからだった。
台帳を全て書き終え、杖を分かりやすいよう種類ごとに棚の上に並べると、タクミはエリーゼの方を向いて言った。
「うん、これで大丈夫だと思う。ありがとう、エリーゼ王女」
「どういたしまして。あたし、ちゃんと役に立ったかな？」
「勿論。思ったよりもずっと早く終わらせられたし、とても助かったよ」
「本当？ 良かった！」
エリーゼが喜ぶ中、タクミはふと外の様子を眺めた。窓の向こうではまだ雨が降っていて、一向に止む気配はない。そして、交代までに残された時間には、かなりの余裕がある。
「エリーゼ王女」
「うん？ 何？」
「君がここに残った、もう一つの目的を果たそうか。手伝ってくれたお礼にね」
「え･･････？」
不思議そうに自分を見遣るエリーゼをよそに、タクミはカウンターの端に置いてあった盤と箱を手に取ると、エリーゼの目の前に広げた。何かを察したのか、エリーゼの表情が見る見るうちに明るくなっていく。
「一局だけだよ」
もっとも、こんな状況じゃ誰も来ないだろうし、幾らでも続けられるだろうけど。その言葉は心の内で呟いて、口元を僅かに緩める。盤面の上に次々と置かれていく白と黒の駒に、エリーゼは感嘆の声を上げ、嬉しそうに目を輝かせた。
たまには雨の降る日も、悪くない。
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何だかんだ言いつつも、彼は優しいんです
(2015/10/12)