翼は籠に閉じ込めて
人の気配を感じてエリンシアが天幕の切れ目に近付いたのと、アイクが飛び込んで来たのはほぼ同時だった。突如として現れた姿に驚いて、エリンシアは何度も目を瞬かせる。
「
──
！ アイク様。どうしたのですか、急に」
「すまん、説明は後だ。ちょっと入らせて貰うぞ」
会話もそこそこに、アイクは目の前にいたエリンシアの身体を些か乱暴に押しやると、そのまま天幕の中まで入り込んで来た。随分と急いで来たのか、呼吸が乱れている。
一国の王に対しては無礼極まりない振る舞いだが、それを咎める余裕は無く、ただならぬ様子のアイクを、エリンシアは訳も分からず呆然としながら見る事しか出来なかった。
「あ、あの、アイク様･･････？」
「！ 喋らないでくれ」
エリンシアが言葉にするよりも、アイクの手がエリンシアの口を塞ぐ方が先だった。急に声を遮られて、思わずエリンシアの心臓が小さく跳ねる。
「聞かれちゃ困るんだ」
困惑の色を浮かべて目を白黒させるエリンシアに、アイクは小声で言いながら天幕の入り口を指さす。アイクの仕草を見て、何となくではあるがエリンシアも察したようで、何度も小さく頷いた。どうやら自分の居場所を知られたくないらしい。耳を澄ましてみると、外からは微かにアイクの名前を呼び続ける声が聞こえていた。それも、一度や二度ではなく、もう十分だろうと思わんばかりの頻度で。
暫くすると、声は止み、アイクも落ち着きを取り戻したのか、エリンシアの口を覆っていた手をそっと外した。解放された安堵感から、エリンシアも胸を撫で下ろす。
「すまなかったな。驚かせてしまって」
「いいえ、お気になさらないで下さい。それよりも、何があったのですか？」
「いや、ちょっとな･･････」
エリンシアの問いに、アイクは一瞬悩み、どう答えたら良いものかと首を傾げる。
「追われていたんだ。道具屋の、あの女に」
「え･･････？」
言われて、エリンシアは思わず目を丸くした。だが、すぐにその内容を理解すると、表情は一変して明るいものになる。
「ふふ･･････。そういう事だったのですね」
「おい、笑うような話じゃないだろう」
アイクに諌められて、エリンシアは笑みを浮かべながら、申し訳ありません、と小さく首を横に振った。
今日が、気持ちを形にして伝えるその日だという事を、エリンシアも覚えている。そこに、アイクに熱烈な想いを寄せている道具屋の女主人が出て来るとなれば、考えられる光景はただ一つ。彼が逃げて来たのは、つまりはそういう事で
──
「あんたは部外者だから良いかもしれんが、本当に大変だったんだからな」
エリンシアは、分かっておりますと頷きながら、目の前の屈強な男がただ逃げるしかなかった、その状況を想像してしまって、密かに笑いを禁じ得なかった。
アイクの表情が浮かないのを見るに、相当堪えたのだろう。きっと、言い方は悪いが、散々付き纏われて辟易していた所に、丁度自分の天幕が見えて、好都合だと思ったのかもしれない。立場上、彼女が安易にこの場所へ入って来る事は出来ないし、もし見付かったとしても「二人で大事な話をしている」とでも言っておけば、誤魔化す事も出来ただろうから。
「全く、厄介な話だ。得体の知れない食い物まで押し付けて来て、こっちは堪ったもんじゃない」
「まあ。素敵なお話ではありませんか」
「どこが素敵なんだ。一方的に渡されても迷惑なだけだ」
「他ならぬ、アイク様を考えての事でしょう。差し上げようと思った、そのお気持ちだけでも、
受け取るべきだとは思いませんか？」
両者の意思を配慮して言葉を選んだつもりだったが、アイクは硬い表情を崩そうとはしなかった。ふっとエリンシアを一瞥すると、すぐに視線を逸らしてしまう。
「･･････そういうものなのか？」
「そういうものですよ」
納得行かないといった様子のアイクに、諭すような口調でエリンシアが言う。俯き加減だった視線が再びこちらへ向けられ、少しの間を置いてから、そうか、と短く返される。彼にしては珍しく、小さく溜め息が漏れるのが聞こえた。
「それでも、受け取る側に選択の余地は残しておいて欲しいもんだがな」
まるで独り言のように、アイクがぼそりと呟く。
「お気持ちは分かりますが･･････。そんな事を仰られていては、是非ともアイク様に、と思った方が渡せなくなってしまうではありませんか」
「知らん」
言われて、エリンシアの表情が強張る。アイクにしてみれば、今日という日の持つ意味など、興味の対象にならないのだろう。だが、自分にとっては全くの正反対で。
「そもそも、俺に渡そうなどと思う奇特な奴なんか、あいつの他にいるわけが･･････」
言いながら、はたとエリンシアの変化に気付いたのか、アイクの声は徐々に小さくなっていく。
「･･････エリンシア、どうかしたか？」
怪訝そうに尋ねられても、エリンシアは胸の前で両手を固く握ったまま、口を開こうとしない。幾ら他人の話とはいえ、厚意を無にするようなアイクの態度を、あまり良いとは思わなかったから。それに、微妙に揺れ動く乙女心を否定されてしまった事も。彼の言う所の、奇特な人間はここにもいると言うのに。
「そうですか、貴方がそう仰るのでしたら･･････」
アイクの問いには答えず、エリンシアの視線は、天幕の隅に寄せられた荷入れの袋に向けられた。おもむろに近付いて、腰を屈めて結び目を解き、中から小さな箱を取り出す。この日の為に、とエリンシア自身が用意していたものだった。
「これは差し上げられませんね」
そっと箱を手の平に乗せて、さも残念そうに呟く。
「選択の余地は、残さねばならないのでしょう？」
そう言って、エリンシアはアイクの方をちらりと見遣る。呆けて力の抜けたような表情が、眼前に映った。が、それもすぐに、引き締まったものへと変化する。どうやら、自分の言わんとしている事を理解したらしい。アイクの目に、焦りと驚きと、二つの色が浮かんでいるのを、エリンシアは確かに見た。
「貴方にお渡しする良い機会だと思っていたのですが、仕方ありませんね。これは私が
──
」
「いや、待て」
エリンシアが箱を仕舞い込むより先に、アイクの手がエリンシアの腕を掴む。その刹那、強い力が加わったと思うと、華奢な身体はいとも容易くアイクの方へと引き寄せられた。不意に引っ張られた事に驚いたエリンシアは小さく悲鳴をあげ、思わず手から箱を落としてしまう。拾わなければ。考えるも、両の肩はアイクの手によってしっかりと固定されていて、動くに動けない状態だった。
「あの、アイク様、離して･･････」
見上げるエリンシアの視線と、見下ろすアイクの視線が交差する。
エリンシアが切願しても、アイクは手の力を緩めようとはしない。流石の彼も憤りを抱いてしまったのだろうか。
「エリンシア、誰も『いらない』とは言っていないだろう」
予想通り、アイクの語気は荒かった。自分を捕えて離さない、鋭い眼光に怯みそうになる。だが言ってしまった以上、エリンシアとて譲歩する気は無い。
「私にはそういう風に聞こえましたが」
「それは、エリンシアが勝手にそう思っただけじゃないのか」
「アイク様が誤解を招くような事を仰るからです」
「俺からすれば、さっきのあんたの言い方もどうかと思うぞ」
エリンシアが言えば、アイクも負けじと言い返してくる。これでは、両者の主張は平行線を辿ったままで、収拾が付けられなくなるのではないかと、エリンシアは焦燥を隠せないでいた。自分自身は勿論、アイクだってこのような事態は望んでいなかっただろうに。
「アイク様、私は」
「エリンシア、俺は」
声が重なり、アイクもエリンシアも急に口を閉ざしてしまう。一瞬にして静寂が天幕の中を包み、険しい表情と困惑した表情の間に、何とも形容し難い微妙な空気が流れるのがはっきりと感じられた。肩を掴み、掴まれた姿勢は変わらず、互いに見つめ合った状態が続く。このままではいけないと分かってはいても、状況を一変させるに相応しい言葉は出て来ない。
それから、どれ位経っただろうか。ふと、エリンシアからアイクの手がゆっくりと離れていく。自分を拘束していた力が無くなった事に気付いて、エリンシアは怪訝そうにアイクの顔色をそっと窺った。
「アイク様･･････？」
恐る恐る尋ねると、アイクは表情を僅かに緩め、視線をエリンシアとは別の方向へと逸らす。決まりが悪くなったのかと思ったが、そうではなかった。
アイクの視線は、足元へと向けられていた。やおら屈み込むと、そこにあった物を拾い上げる。
まれた時に、エリンシアが落としてしまった小箱だった。
「エリンシア、その･･････」
低い声が、耳元を掠めていく。
「何だ、つまりはだな」
言い澱みながらも、アイクはゆっくり箱をエリンシアの目の前に差し出した。
「･･････？」
状況が飲み込めず、エリンシアはアイクと箱の間で、何度も視線を往復させる。
「俺はこれを受け取るべきなんだろう」
「
──
！ そ、それは･･････」
アイクの言葉に、エリンシアの胸がどきりと大きく音を立てた。
「で、でも、アイク様はお嫌なのでしょう？ それに、一度落としてしまった物を差し上げるわけには」
「嫌なんかじゃない。見た感じはどこも変わってないし、大丈夫だろう」
「い、いえ、大丈夫じゃありません･･････！」
流石に落とした物を持って行かれては困ると、エリンシアは咄嗟に手を伸ばして、アイクから箱を取ろうとする。だが、それよりもアイクが動く方が先だった。箱を持つ手を後方へ引き、空いたもう片方の手でエリンシアの手を掴むと、勢いそのままに自分の胸元へと引き入れる。
「
──
っ！」
互いが密着した状態になり、エリンシアの顔が見る見るうちに紅潮していく。離れなければ。思うも、背中に回された腕の力がそうはさせなかった。衣服越しに伝わる体温が心地良くて、それだけで距離の近さを感じてしまって、どうにかなってしまいそうだ。
「言った筈だ。エリンシア、あんた自身が」
言いながら、朱の差した頬をアイクの指が撫でる。壊れ物を扱うように優しく触れられた瞬間、エリンシアの身体が小さく跳ねた。耳元で囁かれる声が、やけに大きく響いてくる。
「･･････渡す側の気持ちは汲むべきなんだろう？」
見上げる先の口元が、微かに引き上がった。
その言い方はあまりにも狡猾すぎる
──
そう思っても、口に出す事は許されず。
言葉にするより前に、吐息ごと封じ込められてしまって、エリンシアはただ、瞼を震わせながら、アイクの腕に縋る事しか出来なかった。
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アイク＞＞＞エリンシアの力関係が好きなんです
(2013/02/13)