甘美な苦しみ
面と向かって話をするのは緊張してしまう。初対面の者でも遠方からの客人であっても、そこが玉座の間であれば、女王としての立場や相手への配慮を意識せざるを得なくなり、肩に力が入ってしまう。時間が経てば少しずつ慣れてきて変に気を張る必要も無くなるが、何度謁見の場を持っても、未だに最初に抱く緊張感は拭い去る事は出来ない。
王都を少しばかり下った場所にある離宮の中、静まり返った広間に、二人向かい合って佇んでいる。普段と違ってエリンシアが玉座に座らずに立ったままでいるのは、それだけ緊張感の度合いが強い事を表していた。本来そこまで気を遣うほどの相手ではない筈だ。しかし、久しく会っていなかった親しき者に対しても、やはりエリンシアはいつもと同じように、何とも言えない奇妙な感覚を抱いていた。
「座ったらどうなんだ」
促されても、エリンシアは首を横に振って「お気遣いなく」と答える。
「あまり時間もありませんから、どうかこのままで」
「そうか。まあ、あんたがそうしたいなら好きにしてくれ」
一言二言交わしただけでは、まだ気持ちは収まらない。人と見える立場だというのに何とも情けない。そう思うと同時に、エリンシアは対面するこの些か無愛想且つ良い意味で遠慮の無い態度を羨ましいと感じていた。
ラグズ連合軍とベグニオンの軍がクリミアの地で一触即発の事態に陥り、思わぬ形でエリンシアはアイクと再会する事になった。今はその争いも収束し、臣下の計らいもあって二人はこうして対面する場を設けてもらっている。後にはベグニオン皇帝サナキやラグズ連合軍の主たる者達との会合も控えている為、あまり時間を取る事は出来ないが、それでも二人にとっては十分だった。玉座のある場所でなら公の謁見と判断される分、融通も多少は利く。
「改めてアイク様、先程は本当に有難うございました」
「礼なら良い。エリンシアは関係無いのに、俺達が巻き込んでしまった事だからな」
エリンシアは深々と頭を下げて、アイクに言う。両軍の戦いをその身一つで止めようとして、命の危機を救ってくれたのがアイクだった。
「それにしても驚いたな。まさか丸腰であの中に割って入るとは思わなかった」
「ご心配をお掛けしてしまって申し訳ありませんでした。でも回りくどい言葉で伝えるより、ずっと分かり易いと思ったものですから」
「あんたの気持ちは尊重する。だが見ている方は気が気じゃ無かったんだからな」
エリンシアが両軍の間に立った時、物理的に距離が離れていた事や、争いを止めるその一点に集中していた為に、アイクの表情をはっきりと見る事は無かった。まともに顔を合わせる事が出来たのは、戦闘の最中、それもアイクがエリンシアに襲い掛かる敵兵を撃ってくれた時の、僅かな時間だけだった。無論相手の心情を推察する余裕など無かったのだが、一瞬垣間見えた表情には予想通りと言うべきか、心なしか焦燥の色が浮かんでいた。そして対面している今この時も、彼は同じ表情をしている。そうエリンシアは感じていた。
ふと、エリンシアは見下ろすアイクの視線が全く動かない事に気付く。自分の表情を読み取ろうとしているのか、一瞬考えたが、目線の位置からすぐにそうではないと理解する。思い当たる事があるのか、エリンシアは遠慮がちにそっと口を開いた。
「･･････気にされているのですか？」
「何をだ」
「私が敵によって傷を与えられたことを」
エリンシアの言葉に、アイクは僅かに眉間に皺を寄せる。返答は無いが、それが図星だという事の表れだった。
「何故避けなかったんだ？」
問い掛けるアイクの言葉には、憤りのような感情が込められている。そうなってしまうのも無理はなかった。
攻め上がってくるベグニオンの敵兵の刃を、エリンシアは避ける事も逃げる事もせず、甘んじて受け入れた。
頬に鈍い痛みと生温い感触が伝う。それでもエリンシアは引き締めた表情を崩す事無く、目の前の敵兵を見つめた。敵なのか味方なのか、歓声にも悲鳴にも似たような声が聞こえてくる。もう一度受ければ、恐らく命の保証は無いだろう。
武器が振り上がり、腹を括った瞬間、目の前に居た筈の敵は、アイクの一振りによって倒されていた。その背後からは、クリミアの臣下やかつて共に戦った仲間達が懸命に追い付こうと走ってくるのが見えた。
「最後の最後まで、賭けてみたかったのです。私の言葉が聞き届けられるかどうか」
言って、エリンシアはそっと目を伏せる。対峙した時の瞬間を思い浮かべるように。敵が殺意を持っている事は明白だったが、だからといって視線を逸らすわけにはいかなかった。例え話の通じない相手だったとしても、否、話の通じない相手だったからこそ、自らが全てを投げ打って示したものを、限界まで崩したくはなかったのだ。
「だがな、エリンシア。無事だったから良かったものの、物事には程度というものがあるだろう」
アイクの視線はエリンシアの頬一点に注がれている。衛生兵や仲間達が総力を挙げて癒しの術を使ってくれたお陰で、そこには僅かな傷跡すら残されていない。だがアイクにとってみれば傷跡が残る残らないという事は問題では無く、エリンシアが目の前で亡き者にされようとしている事に対しての衝撃の方が大きかったらしい。
「あんな事をするのはあれで最後にしてくれ。幾ら何でも、あんたが血を流しているのを見るのは心臓に悪い」
エリンシアは視線を落としたまま動かない。彼がそう言いたくなるのも無理はない。分かってはいるのだ。自分の置かれている立場がどれ程の意味を持っているか。もしあのまま命を落としていれば、ただ各々の軍同士で戦い合う、それだけの事態では済まされなかった筈だ。
「心得ております」
俯けていた顔をゆっくりと上げて、エリンシアはアイクに言う。その先に映し出される表情には、変わらず憤りの色が浮かんでいる。
「やはり怒っていらっしゃるのですか？」
「当たり前だ。エリンシアがいなくなったらクリミアはどうなる？誰もあんたの代わりにはなれやしないんだ」
「･･････」
アイクの問いに、エリンシアは口を開こうとしたが、すぐに止めた。もしこのまま答えたとしても、彼に要らぬ感情を抱かせてしまうだけになるだろう。その場を取り繕う事も出来るだろうが、嘘を吐いてまで本心を伝えないというのは自分の性分には合っていない。
代わりなら、いないわけではない。思っていた言葉を、エリンシアは喉元の奥へと押しやった。自分には、心から信頼を寄せられる臣下や仲間達がいる。もし自らの身に何かあっても、恐らくはその者達が意志を継いでくれる筈だ。眷族かどうかという問題ではない。あの時、互いに睨み合う部隊の中心に単身で乗り込む事が出来たのも、その確証があったからだ。
一方でそれは極論である事も分かっている。アイクの言う通り、今のクリミアは自分がいなければ存在はしない。安易に命を投げ出すような真似をするのは、あまりにも無責任だ。
戦など起こらない方が良い。だが起こってしまったならば、犠牲は出さない方が良い。犠牲が出てしまうなら、少ない方が良い。犠牲が自分一人で済むのなら、それとも自分以外の者達で済むのなら。天秤に掛けた所で、答えが出て来るわけではない。
「･･････時間です。アイク様、お話はここまでにしましょう」
広間の向こうに、様子を見に来た従者の姿が映る。エリンシアは目線で従者に先に行くように促すと、足早にその場を去ろうとする。
「待ってくれ、エリンシア」
背後からアイクの声が追う。いきなり話を切り上げられて、恐らく納得などしていないのだろう。それでもエリンシアは立ち止まらない。
「エリンシア」
だがアイクは諦めなかった。先に行こうとするエリンシアの腕を掴み、やや強引に自分の元へと引き寄せる。急に動きを止められてしまい、エリンシアの顔には困惑の表情が浮かんでいた。はぐらかした事を追及されるのか。思ったが、そうではなかった。アイクの表情に浮かんでいた憤りは、僅かに薄れていた。
「あんたが国の為に命を賭す、その気持ちは汲もう。だがな」
ゆっくりと、諭すような口調でアイクは言う。
「それでも俺は、エリンシアのいないクリミアなんぞ認めんからな」
エリンシアの頬に、アイクの指が触れる。驚いて身構えるよりも先に、今度は柔らかい感触と体温が頬を伝って全身を駆け巡っていった。傷跡は消えた筈なのに、何故か斬られた時と同じような痛みが広がっていく。強く拘束されているわけではない。だが、アイクの腕から抜け出す事も出来ない。固く目を閉ざし、エリンシアはされるがままに、与えられる労りを受容していた。
忘れていた傷の痛みが蘇ったのか、それともアイクの心情が痛みへと具現化したのか、エリンシアには分からない。
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どうしたって立場的には色々と複雑になりがち
(2015/02/07)