明星は晦冥を分かち (1)

　目的地まであと少しだと知らされて、揺れる馬車の小窓をそっと開いた。遠くを見つめる視線の先には、辺り一面を深い闇が覆い尽くす中、王城と思しき建物の灯りだけが煌々と輝いている。その眩さに、例え不毛の地と揶揄されつつも、確かな繁栄を築いてきたのだと実感せずにはいられない。

　常闇の国、暗夜。かつて敵対していたこの国に、自分が一客人として今まさに足を踏み入れようとしている事など、少し前までは決して想像し得なかった。


　透魔竜ハイドラとの戦いを終えてから幾度となく月日を重ねた後、白夜と暗夜、どちらの王国も再興の区切りが一先ず付き、タクミはエリーゼとの婚礼の話を進めようと、一人暗夜の地を訪れようとしていた。その時が来たら必ず迎えに行くと約束した以上、責任を果たしたかったのは勿論の事、白夜の王弟である自分が実際に暗夜に行けば、両国の関係が良好かつ平等である事を公に示せるのも理由の一つだった。もっとも、自分の足で赴こうと思っていた矢先に、先方から迎えが来たのは想定外だったのだが、『将来の義弟を丁重に迎えたい』との現暗夜王の意を汲んで、素直に受け入れる事にした。

　重厚な造りの城門を潜り、王城の入り口に程近い所で馬車の動きが止まった。扉が開き、従者に降りるように促され、一歩ずつ城内への道を進んでいく。道の左右には城兵が整列し、自分の姿を認めるや否や、皆待ち侘びていたとばかりに一斉に敬礼した。一糸乱れぬその動作にこちらも威儀を正さずにはいられず、表情にも僅かに緊張が走る。こうして歓迎の意を表されるのもまた、少し前までは想像し得なかった光景だ。

「タクミ王子！」

　建物に入ってからすぐに、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。懐かしい声とその姿に、強張っていた表情が自然と緩んでいく。

「レオン王子！　久し振りだね。また会えるなんて、夢のようだ」
「こちらこそ、また会えて嬉しいよ。本当に、よく来てくれたね」

　互いに距離を縮め、どちらからともなく握手を交わす。無二の親友との再会を果たし、両者の顔には笑みが浮かんでいた。

「最後に会ったのは、確か兄さんの戴冠式の時だから、そこから月七つ･･････いや、もっとかな？　とにかく、元気そうで良かったよ」
「レオン王子こそ、相変わらずで何よりだ。それより、公務は良いのか？　随分と忙しくしているようだけど」
「折角タクミ王子が来るのに、出迎えないのは失礼じゃないか。少しくらいなら大丈夫だよ」
「そうか、なら良かった。僕の為にありがとう。･･････それにしても困ったな。話したい事が沢山ありすぎて、何を言えば良いのか」
「はは、それは僕も一緒だよ。ともかく、先ずは兄さんに挨拶していってくれ。話はそれからでも遅くはないだろう？」
「ああ、それもそうだね」

　レオンに案内されて、タクミは玉座の間へと通される。この場所を訪れるのは、現国王マークスの戴冠式以来だが、その時と様相は全く違っていた。警備の兵が少ないのを見るに、少しでも落ち着いて話が出来るように、暗夜側が配慮してくれているのだろう。

「タクミ王子、よく暗夜に来てくれたな。心から歓迎しよう」
「こちらこそ、お招き下さりありがとうございます。数々のお心遣い、本当に感謝します」
「礼など必要ない。客人を迎える側として、これは当然の務めだ。白夜とは勝手が違う所もあるだろうが、どうか楽しんでいってくれ」
「はい。短い間ですが、宜しくお願いします」

　互いに挨拶を交わす最中、ふとタクミは柱の影に誰か隠れているのを見つけた。マークスも同じように気付いたのか、「来なさい」と手招きして、こちらに来るように促す。監視の者かと一瞬身構えたが、ひょっこりと現れた小さな姿を見た途端、その予想はあっという間に掻き消されていった。

「タクミさん、会いたかった！」
「エリーゼ王女！？　どうして君がここに？」

　満面の笑みを浮かべるエリーゼの姿に、タクミは心底驚いたという風に目を見開いた。

「私が呼んだのだ。早く君と会わせてあげたいと思ってな」
「おにいちゃんとタクミさんがお話しするって聞いてたから、あたし、いてもたってもいられなくなっちゃって。そしたら、おにいちゃんが『ここで待ってて良い』って言ってくれたの。ああ、嬉しい。タクミさん、本当に来てくれたのね！」
「え･･････、わっ、ちょっと、エリーゼ王女！　いきなり抱き付かないでくれよ！　びっくりするじゃないか！」

　急にエリーゼが飛び付いて来るものだから、タクミは堪ったものではない。慌ててエリーゼの身体を受け止めると、困ったように眉を顰めた。二人きりの時ならともかく、人前で、しかも相手は国王でこれから義兄となる者の前で、これ見よがしに睦み合う姿を見せるのは、些か、と言うより、かなり決まりが悪かった。

「す、すみません、マークス王。ほら、エリーゼ王女、早く離れて･･････」
「えー、どうして？　久し振りに会えたんだから、このくらい良いじゃない！　ねえ、おにいちゃん？」
「ちょ、ちょっと、何で僕じゃなくて、君の兄上に同意を求めようとしてるんだよ」
「私は一向に構わんぞ。仲睦まじいのは、良い事だからな」
「だって！　良かったね、タクミさん！」
「僕はあんまり良くないんだけど･･････」

　微笑ましい光景を見て表情を和らげるマークスを前に、タクミは居た堪れない思いでいた。無論、自分だって婚約者であるエリーゼとの再会は喜ばしい事で、ずっと待ち望んでいた事でもあるが、それよりも羞恥の方が気持ちとしては強かった。こういう時、嬉しさよりも先に気恥ずかしさが来てしまうのは、白夜男児としての性なのかもしれない。


　マークスとの短い挨拶を終え、タクミはエリーゼと共に、用意された部屋へと繋がる廊下を歩く。再会出来た事が余程嬉しいのだろう。案内役を務めるエリーゼの足取りは軽く、話し掛ける声も弾んでいた。

「タクミ王子。いらしてたのね」

　不意に背後から声を掛けられて、タクミもエリーゼも足を止めて後ろを振り返る。視線の先にはもう一人、二人にとって縁の深い人物が立っていた。

「カミラ王女、お久し振りです」

　タクミが言葉を返すと、カミラは柔らかい笑みを湛えながら、ゆっくりと近付いてきた。婚約者同士の二人が並んで立っている姿は、マークス同様彼女にとっても微笑ましい光景に見えるのだろう。タクミとエリーゼと、それぞれに一度視線を送り、カミラは満足そうに目を細めた。

「おねえちゃん、どうかしたの？」
「タクミ王子にご挨拶しようと思って、探していたのよ。まさか、こんな所で会うとは思わなかったけれど」
「すみません、ご足労を掛けてしまったようで。本来なら、僕の方からあなたの所へ行くべきなのに」
「気にしないで。可愛い妹の未来の旦那様に、余計な気遣いをさせてしまうのは悪いですもの。ここで会えて丁度良かったわ。･･････それで、いつまでここにいるのだったかしら？」
「今日を含めて、三日です」
「あら、たったそれだけ？　随分と短いじゃない。もっと居てもらっても構わないのよ？」
「おねえちゃん、タクミさんも忙しいんだよ。本当は二日の予定だったけど、無理を言って一日延ばしてもらったの」
「すみません、カミラ王女のお気持ちは有り難いのですが、僕にも白夜の王弟としての務めがありますから」
「そう･･････残念だわ。そうね、あなたもレオンと同じ立場だものね。こちらこそ、無理を言ってごめんなさいね」

　穏やかな声が、タクミの耳元に響いてきた。まだ互いに信頼関係を築けていなかった頃は、そこに何か含みがあるのではないかと疑った事もあったが、今となっては嘘偽りの無い、本心からの言葉だと理解出来る。

「そうだわ、エリーゼ。手伝って欲しい事があるのだけれど、良いかしら？」
「え？　うん、良いよ。タクミさんを部屋まで送ってからでも良い？」
「勿論よ。そうしたら、私は先に行っているわ。例の話、と言えば分かるわね？」
「うん。終わったらすぐに行くから、待ってて」
「分かったわ。･･････それじゃあ、私はこれで失礼するわね。タクミ王子、どうぞゆっくりしていって頂戴ね」

　タクミは小さく「はい」と頷くと、軽く頭を下げた。踵を返し、廊下を去っていく姿を見送り、姿が見えなくなったところで、また二人で歩き出す。歩きながら、ふとタクミは先程の姉妹の会話が気になって、エリーゼに尋ねた。

「ねえ、さっきの『例の話』って何のこと？」
「え？　タクミさんには内緒！　後で必ず教えてあげるから、今はまだ秘密にさせてくれる？」
「そっか、分かったよ」
「ふふふ、楽しみにしててね！」

　エリーゼが秘密にしている事は、自分に関係する事なのだろう。きっと、今日の為に、何やら二人で準備をしてきたに違いない。こういう場合は変に探りを入れたりせず、その時が来るのを楽しみに待つ方が良い。その事を知っているから、タクミもこれ以上は無理に聞き出そうとは思わなかった。

　長い廊下を進み、二人は階段を昇っていく。聞けば、今回用意された部屋は、暗夜きょうだいの部屋に近い所にあるらしく、広さもほぼ同じだという。一国の王子に相応しい部屋を、というのもあるが、自分達に近い部屋の方が何かと融通が利くのも理由だと、タクミはエリーゼから教えてもらった。

「お待たせ、タクミさん。ここがあなたの部屋だよ！」

　階段を昇り終え、そこから更に奥へと進んだ所で、ようやく目的の部屋へと辿り着き、エリーゼがかしこまったように扉を開いた。促されて中に入ると、そこには既に、滞在の為に持って来ていた荷が全て運ばれていた。整然とされた室内と、きっちりと並べられた荷の様子から、相当の気遣いが成されている事が見て取れる。国の要人を迎えるにあたり、決して礼節を欠く事の無いように、強く言いつけられているのだろう。

「荷物はお城の人が運んでくれたから、多分大丈夫だと思うけど、足りないものがあったら言ってね。すぐに持って来るように言うから」
「うん。ここまで案内してくれてありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、あたしはこれで戻るね。夕食の時間になったら、お迎えが来ると思うから、それまでゆっくり休んでいって」
「分かったよ。また後でね」
「あ、でももしかしたら、それよりも前にレオンおにいちゃんが来るかもしれないけど」
「レオン王子が？　どうして？」
「おにいちゃん、タクミさんと一局打つんだって意気込んでたから。多分、今頃大急ぎでお仕事終わらせてるんじゃないかな」

　エリーゼが話していると、廊下の向こう側から、足早に誰かが近付いて来る音が聞こえてきた。二人して、音のする方へと向きを変えると、今し方噂していた人物が目の前に現れる。余程急いで来たのか、その息は上がっていた。

「タクミ王子！　ちょっと時間が空いたんだ。良かったら、一緒にチェスでもやらないか？」

　何という偶然なのだろうか。タクミもエリーゼも一瞬固まり、それからすぐに顔を見合わせて、くすくす笑い始める。そんな中、状況が呑み込めていないレオンだけが独り、「どうしたの？」と不思議そうに、笑い合う二人を見つめていた。



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