明星は晦冥を分かち (2)

　久方振りの対局は、互いに一歩も譲らなかった。これまでの執政の話や、新たに得た書物の知識などを合間に挟みつつ、次の一手をどうすべきか二人とも長い事考えるものだから、時間はそれなりにあったにもかかわらず、結局迎えの者が来るまでに勝負は付かなかった。切りの良い所で一度手を止め、続きは夕食後に、という事にして、部屋を出る。

　夕食の席は暗夜のきょうだいと共に過ごす事が、事前の話し合いで決まっていた。宛がわれた部屋へと向かえば、既にマークスが着座していて、「待っていたぞ」と声を掛けてくる。カミラもエリーゼも一緒で、二人の姿を見るなり早く来て欲しいと手招きされた。「こっちだよ」とエリーゼに腕を引っ張られるような形で案内され、席に着く。テーブルの上に並べられた器の数々を見て、ふとタクミは首を傾げた。

「あれ、これは白夜の椀じゃないか。確か、エリーゼ王女が帰る時に持って行った･･････」
「あ、やっぱりタクミさん、気付いたのね。このお椀も、この漆器も、それからこのお箸も、全部白夜のだよ」
「今日の為にと思って、準備したのだ。幾ら持っていても、使わなければ宝の持ち腐れになってしまうからな」
「じゃあ、さっきエリーゼ王女が言っていた事は、これの事だったのか？」
「そうだよ！　ちゃんと数や向きが合っているか、確かめたかったの」
「白夜の事は、暗夜ではエリーゼが一番詳しいものね。一緒に手伝ってもらえて助かったわ」

　白いテーブルクロスの上に、椀の鮮やかな朱の色と、漆器の引き締まった黒の色が映える。見慣れた光景の筈だが、こうして置かれると、また別物のように映って見えた。

「結婚式の会食は、白夜の様式に則って行うんだろう？　だったら、僕達も器の扱いには慣れないといけないし、この際だから、ちゃんと君に教えてもらおうかと思って」
「え、僕が？」
「ええ、そうよ。折角の晴れの日を迎えるのに、こちらが無作法な振る舞いをしてしまえば、エリーゼにもあなたにも、もっと言えば、白夜に悪いでしょう？」
「そ、それはそうかもしれませんが･･････」
「お願い、タクミさん。一応あたしも白夜にいる時に頑張って覚えたし、おにいちゃん達にも何回も教えたつもりなんだけど、ちょっと自信がなくて」
「という訳で、どうだろう、タクミ王子。我らの為に、一つご教授願えないだろうか？」

　きょうだい全員から期待と懇願の眼差しで見られてしまえば、断りの言葉など言える筈もなく。一瞬思案した後、タクミはすぐに「分かりました」と小さく頷いた。責任重大だと思いつつも、自分の為に最善を尽くしたいと考えてくれる、その気持ちは純粋に嬉しかった。

　晩餐の席は和やかに進んでいった。マークスやレオンが箸の扱いに苦戦する中、カミラとエリーゼは涼しい顔をしている。白夜に滞在していたエリーゼが扱いに慣れているのは分かるとして、そうではないカミラが楽々と使いこなしているのは、彼女の元来の器用さに因る所なのだろう。出される料理の中には白夜で普段食している物もあり、聞けば、エリーゼが持ち帰った調味料を使って、暗夜でも白夜料理を作る事が時折あるらしい。「トマトと味噌汁って意外と合うんだよ」という、レオンの一言には度肝を抜かれてしまったが。


　時は更に進み、タクミとエリーゼはそれぞれの部屋へ戻る途にあった。廊下を照らす灯りの中、互いの影が忙しなく揺れている。

「タクミさんは、この後どうするの？」
「え？　レオン王子との勝負がまだ付いてないから、その続きをしようって約束してたんだけど･･････駄目かな？」
「ううん、良いよ。あたしも一緒に見ても良い？」
「勿論。レオン王子さえ良ければだけど」
「おにいちゃんなら、絶対に良いって言ってくれるから大丈夫だよ。そしたら、あたし、お茶の準備して持って行くね！　･･････って、あれ？」

　ふと、弾むように歩いていたエリーゼの動きがぴたりと止まる。急に立ち止まられて、タクミは不思議そうにエリーゼの顔を見遣った。

「エリーゼ王女、どうかしたの？」
「ねえ、何か聞こえない？」
「え？　言われてみれば、確かに･･････。多分、向こうの方で誰か話してるんだろうね」
「誰なんだろう。･･････まあ気にしても仕方ないか。行こう、タクミさん」
「うん」

　城内では人の行き来も多い分、何処かしらで誰かが話をする事も多い。故に、タクミもエリーゼもさして気に留める事も無く、再び歩き出そうとしていた。していたのだが。

「･･････まさか、本当に来るとは思わなかったな」
「ああ。てっきり間者の一人でも紛れ込ませると思っていたが、どうやらその気配もなさそうだ」

　不意にはっきりと聞こえてきた声に、二人の動きがまた止まった。咄嗟に身を潜められそうな場所を探し、廊下の角の壁際からこっそり向こうの様子を窺う。そのまま通り過ぎても良かったのだが、何やら物々しい雰囲気が二人の興味を引いてしまったらしい。耳を欹て、聞こえてくる声に意識を集中させる。

「だが油断は出来ん。白夜の王弟はかなりの切れ者と聞く。何か他に、暗夜を陥れる為の策を講じてくるかもしれんぞ」
「そうだな。何しろ、我らが王に取り入り、更にはエリーゼ王女を籠絡したのだ。良からぬ事の一つや二つ、考えてはいるだろうさ」
「その可能性は大いにあるだろうな。全く以て恐ろしい男だ」
「本当に。せめてこの城の中にさえいなければ、まだ救われるものを」
「そうだな。ただでさえ白夜の人間は信用ならないというのに、一番厄介な者が同じ空間にいると思うと、おちおち気を休める事も出来ん」

　聞こえてきた声の内容に、タクミとエリーゼの表情が強張る。すぐ近くで交わされる、根も葉もない噂に、心が締め付けられるような思いを感じた。

「･･････！　タクミさん、あれってまさかあなたの事じゃ･･････！」
「エリーゼ王女、静かにして。見つかったら、面倒な事になる」
「でも･･････でも、あんな酷い事、言って良い筈が無いわ･･････！」
「僕の事なら気にしないで。ああいうのは、勝手に言わせておけば良いんだから」

　憤慨するエリーゼを、タクミは何とか宥めようとする。無論、自分の事を悪く言われるのは快くないが、それよりも今はこの場を波風立たせずやり過ごす事の方が先決だ、そう思った。何か言いたそうにするエリーゼの口元をそっと手で押さえ、これ以上騒がないで欲しいと訴える。

「･･････ごめんなさい、タクミさん。あたし、やっぱり我慢出来ない」
「え？　･･････あっ、ちょっと、エリーゼ王女！」

　だが、エリーゼの怒りは収まらなかった。口元を押さえていたタクミの手を振り解き、勢いよく飛び出してしまう。慌てて後を追うと、壮年の男性が二人で話し込んでいる姿が目に入ってきた。その恰好から察するに、城の中でも重要な役割を任されている高官なのだろう。

「ちょっと、あなた達。一体何を話していたのかしら？」

　眉を吊り上げて、エリーゼがきつい口調で問う。噂をしていた当の本人達が目の前に現れたからか、向かい合う高官達の表情には狼狽の色が浮かんでいた。

「これは･･････エリーゼ様。何、大した事ではありませんよ。ちょっとした世間話というものです」
「嘘よ。あたし、ちゃんと聞いてたんだからね。白夜の王子様に対して、随分と失礼な物言いだったじゃない」
「そ、そのような事は決して。ただ我々は、暗夜と貴女の事が心配で･･････」
「そ、その通りです。国とその王族の方々を思うのは、我らにとって当然の心理でして･･････」

　もっともらしい理由を捲し立てているが、それが逆に偽りである事を証明してしまっていた。焦りを隠せないでいる高官達を前に、エリーゼは毅然とした態度を崩さない。

「そう･･････。だったら･･････」

　深い呼吸を一つ置いてから、エリーゼは言う。

「もう一度同じ事を言ってみなさい！　今ここで、タクミ王子本人の前で！　あなた達の考えている事が、本当に暗夜の事を、あたしの事を思っているのなら！」

　激しい剣幕で、エリーゼは高官達に詰め寄った。普段の彼女からは考えられないような形相に、高官達も驚きを隠せなかったらしい。弁解の言葉を言おうとしても、それは意味の無い音の羅列にしかならなかった。

「あなた達があたしの事を心配してくれている、その気持ちは分かるけれど･･････だからといって、あたしが好きになった人を貶すなんて･･････あたしを好きになってくれた人を貶すなんて、決して許される事なんかじゃないわ！」
「あ･･････も、申し訳ありません、エリーゼ様。我々とした事が･･････」
「貴女のお気持ちも考えず、出過ぎた事を申しまして･･････」
「謝罪する相手を間違えていないかしら？　謝るのならあたしにじゃなくて、タクミ王子にじゃないの？　そうでしょう？」
「そ、その通りです、エリーゼ様、貴女の仰る通りで･･････」
「御託は良いから、早く謝って！」
「エリーゼ王女、もう良いよ！　僕はもう良いから･･････！」

　これ以上、事を煽っても意味が無いからと、タクミは今にも食って掛かりそうなエリーゼの肩を後ろから抱き、その勢いを鎮めようとする。エリーゼはまだ何か言いたそうにしていたが、タクミが静かに首を横に振るのを見て、まだ納得していないという表情を見せながらも、口を噤んだ。しゅんと項垂れるエリーゼと、それを宥めるタクミの姿に、高官達もばつが悪くなったのだろう。口早に、謝罪になっているのか、なっていないのかよく分からない言葉を並べると、そそくさとその場を後にしていった。広い廊下に、二人だけがぽつんと取り残される。一瞬の出来事であったが、二人にとっては何時間も経ったような、そんな感覚だった。

　肩を抱いた姿勢はそのままに、タクミもエリーゼも黙ったまま動けないでいた。俯いて、何も言わなくなってしまったエリーゼに対して、タクミはどう声を掛けたら良いか、悩んでしまう。

「二人とも、どうしたんだ？」
「！　レオン王子･･････」

　後ろから声が聞こえ、二人してゆっくりと向きを変える。重苦しい空気の中、助け船を出したのはレオンだった。手に沢山の書類を抱えているのを見るに、後で目を通すつもりで持って来たのだろう。或いは、既に読み終わって、指示を出しに行く途中なのかもしれない。

「随分と浮かない顔してるけど、何かあったの？」
「いや･･････まあ、色々とね」
「おにいちゃん、またあの人達が･･････」
「あの人達って･･････、まさかいつもの高官達か？」
「うん。タクミさんに、酷い事言ってたの。だから･･････」

　エリーゼに言われて、レオンの表情が険しくなる。どうやら、彼にも心当たりがあるらしい。レオンは周囲を一瞥し、人気が無いのを確認すると、小声で囁いた。

「タクミ王子、エリーゼ、大体の事情は分かったよ。･･････とりあえず、場所を移そう。あまり大きな声で話せる内容じゃないからね」



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