明星は晦冥を分かち (8)

　明くる日の朝、タクミとエリーゼは暗夜のきょうだい達に囲まれながら、出立の時を迎えようとしていた。

「･･････それじゃあ、おにいちゃん。あたし、行くからね」
「うむ。道中気を付けるのだぞ」
「色々とお世話になりました。どうぞお元気で」
「タクミ王子も息災でな。エリーゼの事、宜しく頼むぞ」
「はい。エリーゼ王女の事は、僕が責任を持ってお預かりします」

　タクミがマークスに向かって一礼すると、エリーゼもつられてぺこりとお辞儀をする。昨日は何処か寂しげな表情を浮かべていたマークスだったが、今はもうその思いも消え、心から二人の門出を祝福しているように見えた。それとは対照的に、カミラは独り、憂いを帯びた面持ちでいる。

「ああ、エリーゼ･･････本当に、これで行ってしまうのね。寂しくなるわ･･････」
「カミラ姉さん、今生の別れじゃないんだよ。あまり悲しそうにしてたら、二人とも困ってしまうだろう？」

　レオンが呆れた声で宥めると、カミラは何度も頷いて答える。

「そう･･････そうよね。また会えるものね。ごめんなさい、タクミ王子、エリーゼ。私もちゃんと、お見送りしないといけないわね」
「いえ、構いません。どうかお気になさらないで下さい」
「あたし、おねえちゃんに色々教えてもらえて嬉しかったよ。今まで本当にありがとう。また会った時は、いっぱいお話してくれる？」
「ええ、勿論よ。約束するわ。私の方こそ今までありがとう。エリーゼ、元気でね･･････」

　エリーゼとカミラはどちらからともなく腕を伸ばし、熱い抱擁を交わす。同性のきょうだい同士、共有し合える事も多々あったのだろう。別れを惜しんでいる二人を横目で見ながらレオンは苦笑し、「参ったね」と溜め息を一つ零した。

「次に会う時は、いよいよ結婚式だね。その時が来るのを楽しみにしているよ」
「ああ。正式な日取りが決まったら招待状を送るから、それまで待っていてくれ」
「今度は是非とも、白夜の将棋で勝負してみたいな。まあ、時間があればの話だけど･･････」
「考えておくよ。僕だって、出来たらそうしたいって思っているし」
「ちょっと、レオンおにいちゃん。タクミさんと二人で遊ぶのも良いけど、大事なのは結婚式の方なんだからね」
「はいはい、分かってるよ」

　カミラに抱き付いたままエリーゼが突っ込んでくるので、レオンは生返事で答える。「心がこもってない」とエリーゼは口を尖らせたが、良い意味で遠慮の無いきょうだい関係は微笑ましく、マークスもカミラも、そしてタクミも表情を緩ませて、二人のやり取りを聞いていた。


「さあ、あまり長く引き止めるわけにもゆくまい。二人とも、どうか行ってくれ」

　ひとしきり別れの時を謳歌した後、タクミとエリーゼの背中を押すように、マークスが言った。

「お気遣い下さり、ありがとうございます。それでは、僕たちはこれで行きますね。また今度、白夜でお会いしましょう」
「マークスおにいちゃん、カミラおねえちゃん、それからレオンおにいちゃん･･････。今までずっと一緒にいてくれてありがとう。あたし、白夜に行っても頑張るからね。どうか、皆元気で･･････」

　タクミとエリーゼがもう一度頭を下げると、暗夜のきょうだい達も揃って一礼した。ゆっくりと顔を上げ、それぞれの表情を見合い、それから意を決すると、用意された馬車に乗り込む為に、二人は踵を返して王城の外へと歩いていく。背後からは、別れを惜しむ声、門出を祝う声、様々な思いを乗せた声が聞こえて来ていた。

「･･････タクミさん、ちょっと待ってくれる？」
「ん？　ああ、勿論構わないよ」

　城門へと続く道を歩く途中、エリーゼがその動きをぴたりと止めた。ゆっくりと後ろを振り返り、生まれ育った暗夜の王城をじっと見つめる。それは、彼女なりの決意表明だった。もう二度と、暗夜の王女としてここに戻る事は無い。その胸に沢山の思い出を秘めて、これからは白夜の人間として生きていくのだと。大きく息を吸い、ありったけの力を込めて、エリーゼは叫ぶ。

「今までお世話になりました！　行ってきまーす！」

　暗夜の王城中に、一際明るいエリーゼの声が響き渡った。


　二人を乗せた馬車は国境を越え、少しずつ暗夜の地から離れていく。エリーゼはしばらくの間、遠ざかっていく暗夜の景色を小窓から眺めていたが、やがてそれが見えなくなると、隣に座っているタクミの方へ身体を向け直した。

「お別れは済んだ？」

　タクミが尋ねると、エリーゼは「うん」と小さく頷いた。

「タクミさん、ずっと黙っててくれてありがとう。退屈だったでしょ？」
「ううん、気にしないで。僕も色々と考えなきゃいけない事があったし、丁度良かったよ」
「考えなきゃいけない事？」
「うん。執政の事もそうだし、何より祝言が控えているからね。白夜に戻ったら、君もかなり忙しくなると思うよ。暗夜に行く前に、女官達が言ってたんだ。『早く婚礼の儀の作法を教えたい』って」
「そっか。これで終わりじゃないんだよね。皆の期待に応えられるように、あたしも頑張らなくっちゃ」

　左手に嵌められた指輪をちらりと見遣りながら、エリーゼは自らを奮い立たせる。そこには、白夜王弟の妃としての、白夜の新たな王族の一員としての、確かな責任と自覚が芽生え始めていた。

「ねえ、タクミさん」
「何？」
「これからも、ずっとずっと宜しくね！」
「えっ？　あ、ああ、こちらこそ宜しく頼むよ」

　唐突に言われてしまい、タクミは言葉を詰まらせながら答える。思った事を率直に口に出すのがエリーゼの常である事は周知の事実であり、それは今後もずっと続いていくのだろう。決して悪い気はしない。否、悪い気はしないと言うよりも、寧ろ本心は。きらきらと目を輝かせるエリーゼの姿に、ささやかな困惑を抱きながらも、タクミの心は希望に満ち溢れていた。

　ふと、エリーゼがタクミの方へと身体をすり寄せ、肩口に頭を預けるようにもたれ掛かってきた。呼応するようにタクミはエリーゼの肩を抱いて、愛らしい紫紺の双眸を覗き込む。目と目が合った瞬間、気恥ずかしそうな表情を浮かべてエリーゼは微笑み、微かに声を震わせた。彼女の心に去来しているものは何か。言わずとも、タクミには分かっていた。共に歩む事を決めた時、二人で誓った言葉を、今この瞬間に、きっと彼女は実感している筈だ、と。

「タクミさん！　見て、外･･････」

　タクミに身を預けたまま、エリーゼが小窓の外を指差して言った。エリーゼの指し示した先には、今まで闇一色だった空の色が、少しずつ薄れていく様子が映っている。陽の当たらぬ国から、今度は陽の当たる国へ。その予感は確信となって、エリーゼの胸をはっきりと、タクミの胸を静かに、躍らせた。

　彼方に広がる、光射す空の色。それは、やがて二人に必ず訪れる未来の光景そのものだった。




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無闇に結婚という言葉を使わず、想像の余地を残してくれた支援S会話に感謝したい所存です
(2016/06/21)