明星は晦冥を分かち (4)

　暗夜王国は決して陽の当たらぬ国。その事を強く感じたのは、新しい一日の始まりを迎えた時だった。

「おはよう、タクミさん！　もう朝だよ！」
「･･････え？」

　まだ夢か現かはっきりしない中、タクミの意識はエリーゼの声によって一気に現実へと引き戻されていった。意気揚々とした声で叫ばれて、しかも目を開けた瞬間にエリーゼの顔が近くにあったものだから、思わず跳び起きて、変な声を上げそうになってしまう。

「う、うわ、エリーゼ王女･･････！　驚かさないでくれよ！」
「だってタクミさん、さっきからずっと呼んでたのに、なかなか起きないんだもん」
「だからって、何もそんなに近付かなくても良いだろうに･･････。というか、そもそも何で君が僕の部屋にいるんだ？」
「きっとタクミさん、暗夜の朝には慣れてなくて、ちゃんと起きられないかもしれないから、あたしが起こしてあげようと思って！　白夜だと朝になれば陽が昇るけど、ここはずっと真っ暗だからね」
「そ、そうだったのか･･････」

　ふとタクミは、寝台の横にある部屋の窓から、外の様子を見つめた。人々が城の内外を行き交う中、空には一面の漆黒の闇が広がっている。定刻を知らせる鐘も鳴っていた筈だが、それに気付かなかった事を考えると、エリーゼの言う通り、自分は誰かの助け無しに起きる事は、出来なかったのかもしれない。エリーゼの気遣いは、タクミにとって有り難い事ではあったのだ。もっとも、タクミ本人としては、無防備な寝姿をエリーゼの前に晒してしまった事に対する、慚愧の念の方が強かったのだが。

「さあ、早く着替えようよ！　もう少ししたら、朝ご飯の時間だよ！」
「う、うん、分かったよ」

　エリーゼに急かされて、タクミは半ば慌てて寝台から降りる。降りた途端、エリーゼの手が寝衣の結び目に掛かって、タクミは心臓が口から飛び出そうになってしまった。咄嗟にエリーゼの手を掴み、結び目を解こうとするその動きを止めさせる。

「ちょ、ちょっと、エリーゼ王女！　何するんだよ、急に！」
「え？　タクミさん、これから着替えるんだよね？」
「いや、それはそうだけど、何で君がその･･････僕の服を脱がそうとしてるんだよ！」
「だって、白夜ではお嫁さんが旦那様の色んなお世話をするんでしょ？　だったら、あたしも今のうちに練習しておかないと･･････」
「そういうのは、本当の夫婦になってからで良いから！　まったく、無茶苦茶な事をする･･････」

　困惑するタクミを前に、エリーゼは何度も目を瞬かせて首を傾げた。自分がしでかしている事の重大さを、エリーゼは分かっていないらしい。とりあえず、タクミが困っているという事だけは伝わったらしく、やがてタクミの手ごとゆっくりと結び目に添えていた手を離した。

「そっか･･････。狩衣の着方とか、紐の結び方とか、ちゃんと覚えたから、確かめたかったんだけどな･･････」

　残念そうに話すエリーゼだったが、タクミは気が気ではなかった。本人にしてみれば真面目に考えているつもりなのだろうが、こちらからしてみれば突拍子も無い事の連続で、心穏やかではいられない。

「･･････エリーゼ王女、とりあえず、一旦部屋を出て待っててもらえないかな？　急いで準備するから」
「分かったわ。･･････ちょっとだけ見るのも、駄目なんだよね？」
「･･････こんな状況で、僕が『良いよ』って言うと思う？」
「ううん･･････。そしたら、外で待ってるから、早く来てね」

　ようやくエリーゼはタクミの傍から離れて、扉の前で一度止まって振り返り、ふわりと表情を緩めるとすぐに外へと出て行った。姿が見えなくなった途端、タクミの口からは盛大な溜め息が零れ落ちた。まだ朝の時間だというのに、一気に体力も気力も奪われてしまったような錯覚に陥る。幾ら振り回されるのには慣れたとはいえ、その回数は少ない方が勿論良い。

　エリーゼに催促されないように急ぎつつ、一通りの着替えを済ませると、タクミは部屋の扉をゆっくりと開いた。扉の横ではエリーゼが控えていて、タクミが出て来た事に気が付くと、待ってましたとばかりにタクミの腕に自らの腕を絡めて、嬉しそうに微笑んだ。よくぞここまで頻繁に自分の近くにいられるものだと、タクミは密かに呆れつつも感心してしまう。もっとも、白夜に滞在していた時は、自分の弓の訓練を飽く事無くずっと眺め続けていたのだから、それが彼女にとって自然なのだという事は、既に分かっていた事でもある。そして、いつの間にかそれが、自分にとっても当たり前の状態になっているのだという事も。

　朝食の席に於いて、タクミとエリーゼが他の暗夜きょうだい達に、午後は二人で出掛ける旨を伝えると、皆揃って賛同の意を表してくれた。マークスは「必要なら使うと良い」と城下町の見取り図を渡してくれ、レオンは「あの露店には、君の好きそうな掘り出し物があるよ」と教えてくれた。カミラだけは、何やら意味ありげな顔でこちらの方を見て笑っていたが、昨日の一件を蒸し返されるのは勘弁願いたかったので、見て見ぬ振りをして過ごした。

　午前中の会合も滞りなく、昨日居合わせてしまった高官達も出席していて、何処となく余所余所しい雰囲気を醸し出してはいたものの、無事に終了した。タクミが兄王リョウマの文言を伝える中、居心地悪そうに決して目を合わせようとしない高官達の姿を見て、事情を知るレオンは密かに苦笑していたのだが、それを後になってこっそり伝えられて、タクミも同じように苦笑してしまった。


　昼が過ぎ、昨日の約束通り、二人は城下町へと足を運ぶ。以前は、城から行く場合は隠し通路を通らなければ辿り着けなかったが、復興が進んだ今は道も整備され、気軽に往来が出来るようになったという。「地下に繋がるあの階段は、つい最近出来たばっかりなんだよ」と、エリーゼが熱心に語るのを聞きながら、タクミもマークスから借りた見取り図を見て、興味深げに周囲を眺めていた。

「ねえ、タクミさん」

　町の入口を抜け、少し進んだ所で、ふとエリーゼは立ち止まって、タクミに声を掛ける。

「何？」
「お城を出る時から言おうか迷ってたんだけど･･････、風神弓、持って来る必要あったかなあ･･････？」
「え？　そんなに気になる？」

　エリーゼは少しだけ不満そうに、タクミが左手に携えている弓をちらりと見遣る。タクミ本人としては、緊急の事態が起こってしまった時の為に、念には念をと思って持って来たつもりなのだが、エリーゼにとっては、純粋に二人で過ごす事を楽しみたいだけなのに、何もそこまでしなくても良いではないかという思いがあった。

「仕方ないだろう？　出掛ける前に、マークス王から言われたじゃないか。『まだ危険な場所も残っているから、気を付けて行くように』って」
「それはそうだけど･･････お城の直属の警備兵だってちゃんと巡視してるんだし、何もタクミさんまでそんなに警戒しなくても･･････」
「じゃあもし君に何かあって、一緒にいる僕が何も出来なかったらどうするんだ？　助けてあげたいのに、助けてあげられなくなる、そんな恐ろしい事、僕は考えたくないよ」
「それだったら、あたし達が変な事に巻き込まれないように気を付ける方が、先だと思うんだけどな･･････」

　ぼそりとエリーゼは呟いたが、タクミの耳には届かなかった。エリーゼの言動や行動で翻弄されるのと同じように、実はタクミも時折、エリーゼには理解し難い言動や行動を起こす事があるのだが、当のタクミ本人は気付いていない。

　町は地上と地下と、二つの階層に分かれている為、先ずは道の流れに沿って、地上側の町並みを歩く事にした。地上側は戦争が終わってから開発が進められた事もあり、どちらかというと珍しい物や新しい物を扱う露店が多いらしい。特に白夜に関する物は、食材にしても器にしても文献にしても、暗夜の人々の興味を引くらしく、それらを売る店の周りには、立ち止まってゆっくりと眺める人々の姿が、よく見受けられた。

「向こうは随分と人が集まってるみたいだけど･･････あれは何の店？」

　露店の中でも、一際賑やかしくしている光景を見て、タクミが問う。

「あのお店？　あれは白夜の装飾品を扱うお店だよ！」
「装飾品･･････成程ね。どうりで女性の姿が多いと思った」
「今、暗夜の女の人達には、かんざしがとっても人気なの。中でも、細かい飾りが付いている物は、あっという間に売れちゃうんだって」
「そうなんだ。でも、何でかんざしなんだろう？　女性の装飾品なら、他にもあるのに」

　思った疑問をそのまま口にしただけなのだが、タクミの言葉を受けて、エリーゼは満面の笑みを浮かべた。まるで、その質問を聞きたかったのだと言わんばかりに。

「ふふふふ･･････実はね、きっかけを作ったのは、あたしなんだよ！」
「エリーゼ王女が？」
「うん！　あ、でも、もっと言うなら、タクミさんのおかげかな？」
「え、僕の？　どうして？」
「タクミさん、以前あたしにかんざしを贈ってくれたでしょ？　その話が暗夜の人達にも伝わって、少しずつ取り入れられるようになったんだって」
「へえ、そうなんだ。それにしても、随分な盛況振りだけど、他にも何か理由があるのかな？」
「一番は、恋のお守りにしたいって人が多いからじゃないかな。『白夜の王子様が、自分の婚約者である暗夜の王女様に捧げたかんざしは、王子様が王女様を想う愛情の強さの証』だから、自分達もそれにあやかって、身に着けてみようって。細かい飾りが付いている物が人気なのは、あたしと同じような物を持ちたいって人が多いみたい」
「そ、そう･･････」

　自分の知らぬ間に話が盛られていた事に、タクミは若干の戸惑いを覚えた。しかし、敵対していた国の文化が、こうして自然に馴染んでいるさまを見ると、決して悪い気はしない。その一端を、間接的にとはいえ、担ったと思えば尚の事だった。


　地上の露店を端から端まで一通り見終わった所で、今度は地下へと続く階段を下りていく。地上とは対照的に、地下には昔からの、いわゆる馴染みの店が多いらしく、訪れる客層にも違いが表れていた。時折足を止めて、白夜のきょうだい達の為に持ち帰る物を品定めし、それが終わると今度はレオンが教えてくれた露店に行って、何か気になる物は無いか探す。タクミが古い文献を見つけて、「少しだけだからね」と言われたにもかかわらず、つい長居して読み進めてしまったが故に、エリーゼの機嫌を一時損ねる形になってしまったのは、ここだけの話だ。

「ん？　何だろう、あれ･･････」

　店が並ぶ路地を進む途中、ふと何かに気付いたのか、エリーゼがタクミの袖を引っ張って訴えた。

「エリーゼ王女、どうかしたの？」
「うん。見て、あそこ･･････何か騒がしくない？」

　エリーゼが指差したのは、とある広場の一角だった。そこには人だかりが出来ていて、怒号とも取れるような喧騒が飛び交っている。と、そこへ、一人の女性が小走りにこちらの方へ近付いてきて、差し迫った表情で話し掛けてきた。

「あの･･････、貴女はエリーゼ様ですか？」
「そうだけど･･････一体どうしたの？」

　今にもしがみつきそうな勢いで、女性はエリーゼに話す。余程緊迫した事態にでもなっているのか、その声も身体も震えていた。ただならぬ様子に、エリーゼも緊張した面持ちになる。

「どうか、助けて頂けないでしょうか？　私の姉の子が、暴漢達に捕まってしまったのです･･････！」
「何ですって！？　じゃあまさか、向こうのあの騒ぎは･･････」

　焦りを隠せない女性を宥めつつ、話す言葉に耳を傾ける。聞けば、子供が男達とすれ違う時にぶつかってしまい、それが彼らの逆鱗に触れてしまったが為に、あれこれ言い掛かりを付けられているのだと言う。監視役の兵もいる筈だが、巡視の途中なのか、それとも既に去ってしまった後なのか、まだ姿を見せないらしい。女性の言葉と、人だかりと、向こうで一体何が起きているのかは、明白だった。不穏な様子にタクミも察したのか、エリーゼと一度視線を合わせて、互いに頷く。

「エリーゼ王女、行こう」
「うん！」

　タクミはエリーゼの手を取ると、意を決して騒動の渦中へと駆け出していった。



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